私がJAIMS日本支所のスタッフになってから、先月で1年が経ちました。
もうそんなに経ったなんて信じられないほどこの1年は慌しく、且つ、とても充実したものでした。

私の担当は主に富士通奨学金とJEMBA(Japan-focused MBA)ですが、この仕事は海外からの学生達と接する機会が多く、私にはとてもChallengingな仕事です。
言葉の壁はもちろん、文化の違い、考え方の違い等、常に多くの問題に突き当たります。

でも、私が自分の力不足を一番実感するのは、語学でもなく、相手の国に対する知識不足でもなく、
自分の国である「日本」についての知識の無さです。

日本の経営を学ぶJEMBAの学生はもちろんの事、富士通奨学金を受給してJAIMSに留学する学生達も、日本に対してとても興味をもっています。
来日した際には、日本での日常生活から歴史、地理、皇族、観光地、宗教、食事、電車、漫画・・・・・・
挙げればきりがないほど、何でも質問してきます。
その度に曖昧な返答しか出来ず、「日本人なのになんでこんなに答えられないんだろう」と自分の知識の無さにとても歯がゆい思いをしています。

逆に、海外からの学生は自分の国に誇りを持っている人が多く、知識も豊富です。
時には分からなくてハッタリをかましている人もいるかもしれませんが、
それでも「自分の国はこんなに素晴らしいんだ」と主張する事が出来ます。

相手の国の事を知るだけでは異文化交流とはいえません。
「Global person」になる為にはまず、自分の国のことをよく理解し、伝えられるようになる必要があるんだと実感したこの1年でした。

皆さんも海外に行かれる時もしくは海外の人と接する時には、
その国について学ぶこともさることながら、
日本についての知識を深めることをお薦めします!

 1985年夏。フィージー共和国/トンガ王国。 

 当時経団連には、南太平洋経済協議会という委員会組織があり、一年に一度南太平洋の国々に調査団を派遣していた。その年は、フィージーとトンガに行くことになった。参加者は、某自動車メーカーの副会長夫妻と営業部長、コンピュータメーカ会長、それから真珠輸入販売会社社長など私を入れて6-7人。フィージーでは、経済関連大臣や財務大臣との面談、トンガでは、国王ツボウ四世との面談を初めとして経済大臣、漁業大臣、防衛長官との面談が予定されていた。

 まずはフィージーに行き大臣との面談のあと、現地で黒真珠の養殖をしている日本人の会社を訪問する。その後トンガに移り、国王・大臣との面談のあと日本の青年海外協力隊の人たちと意見交換をする予定になっていた。

 南太平洋は、一説では日本人のルーツの一端があることになっており、いくつかの遺跡や遺物が、日本とのつながりを暗示している。とはいえ、フィージーもトンガも南太平洋の島国なのだから、それほど変わりはあるまい、というのが行く前の正直な気持ちだった。 フィージーもトンガも英国に支配されていた過去を持ち、どちらも当時は、英連邦(Commonwealth of Nations)に属した。しかし、実際に行ってみると、フィージーとトンガは、かなり異なる様相を呈していた。

 

  フィージーは、もともとその地を支配していたいくつかの豪族が、土地のほとんどを所有し、そこに18世紀に植民地化したイギリスによってインドからサトウキビ栽培のために連れてこられた農業従事者が、住み着いた。当時は、数で勝るインド系フィージー人が政治も経済も取り仕切っていた。しかし、インド系の人達は、ごく一部の自由地を除き、土地の所有はできない。

 フィージーは、当時から既に中進国であり、ナンディやスバという大都市は、都会の面持ちを持っていた。都市で見かけるのはインド系の人たちがほとんどで、大臣もだいたいインド系だった。インフラ系も当時の中進国としては、整っている方だっただろう。交通事情も決して悪くはなく、秩序が感じられた。各大臣との面談時の印象も、先進各国の大臣との違いはあまり感じられなかった。

 

  それに比べトンガは、その名の通り王国であり、国王ツボウ四世が元首として君臨していた。住民は、有史以来そこに住み着いている、いわゆるPacific Islanderである。空港から首都の中心までの道路では、車は、わずかしか走っておらず、その代わりに豚の親子が、列を作って走り回っていた。信号は、都心に1-2か所しかなかった。 トンガのツボウ四世は、巨人だった。握手した私の右手指の爪が、国王の手の指の付け根にまでしか届かなかったのは、驚きを通り越して信じられなかった。そのときに会った大臣は、みな大きく素朴だったが、国王がとにかく巨大だったのは、忘れられない。なんでもトンガの木にぶら下がっているオオコウモリは、栄養豊富だが、それを食べるのは国王だけに許されているとか。それだけでは、巨体の説明にはならないが、いかにも南太平洋らしい逸話ではある。

 そんなトンガにも軍隊があり、当時空軍のパイロットは日本人から見ても小柄だったのは、別の意味で驚きだった。同じ国でもいろいろな人がいる。トンガは、島国なので島から島に、国王が移動するには、空軍のヘリコプターは欠くべからざるものだという。

 
  そういえばトンガには、Captain Cookが、トンガを「発見」した時にトンガ国王に贈呈したという海亀の剥製があった。驚いたのはその亀が死んだのは、そのほんの15年ほど前だということだった。Captain Cookが急に身近になるのを感じたものだ。

 
  そんなトンガで、私は、失敗をした。

  トンガの空港は、日本の地方空港を更に簡素にしたような造りだった。既に四半世紀も前のことではあるので、現在は、整備されているのではないかと思うが、滑走路と管制塔、それから日本だと大きめのバス停にあるような待合室。もちろんPassport Controlや税関もあることはあったが、規模は小さい。

 空軍の飛行機を見学するために空港に来ていた私は、見学後、帰りのバスを待ちながら、ひとりの日本人の参加者と1日に数回しかない飛行機のランディングを見ながらおしゃべりをしていた。

 「人口15万人くらいの国だとこの程度の空港で十分なんでしょうね。日本だと地方のちょっと大きめの町くらいの感じですもんね。」

 「15万人っていうと静岡県の三島市くらいですね。三島には軍隊ないけど。」 南太平洋の真っ青な空と群青の海を背景に気楽な日本語での会話。どうせ現地の人にわかるはずがない。と、思って気を抜いていた。

 我々の前で誰かと話していた女性が振り返った。

 トンガ外務省の日本担当Director、Nancyだ!

 
  「日本は、大きな国です。しかもお金持ち。トンガは小さい。そして貧しい。でも私たちは、この空港にも、軍隊にも誇りを持っています。」というとクルっと前を向き直し、すたすたと駐車場の方向に歩いていった。

 相撲の力士にまでトンガ出身者がいたくらいの親日国だ。当然何人も学生として優秀な人材が、日本に留学している。Nancyは、早稲田大学に数年間留学していた。日本語は、もちろん流暢。日本人の会話は、問題なく分る。

 
  数日後、帰りの便に乗る前、見送りに来ていたNancyと握手した。トンガの人らしく、大きい手だったが、心なしか、力の入っていない握手だった。                               

                                     - by 神能 粋人 -                                             
                                          (I.Kanno)

投稿者: K.I. | カテゴリー: 異文化体験 | No Comments » | Tags:, ,

JAIMS日本支所で仕事をしていると、ふと卒業生の方が事務所に立ち寄ってくださることがあります。貴重なJAIMSでの思い出話や、JAIMSのクラスメートとの交友についてお話が伺えて非常に楽しく、いつまでもJAIMSについて覚えてくださっている、ということが本当に嬉しくなります。

私自身JAIMSで勉強した卒業生の一人ですが、10数年たった今でも年に数回皆で集まっています。先日、卒業して20年以上たつという卒業生の方にお会いした際「私たちは卒業して10年たちますが、いまだに会っていてすごいねという話をしたんです。でもこの先、何十年たっても変わらず皆で集まれるものかな、とふと思ってしまいました。」とお話しました。

そうするとその方はニコッとされて「私たちは卒業して20年以上経ちますが、いまだに毎年集まっています。まだまだこれからですよ。」とおしゃいました。

いつまでも変わらないJAIMSで育まれた友情。それも、とても大きな留学の財産なのだと感じた瞬間でした。

投稿者: S.N. | カテゴリー: JAIMS卒業生 | No Comments »

前回のブログでは、日本MBAプログラムの学生の日本での初日についてお話しました。今回は彼らの日本での最初の週についてお話したいと思います。普通は日本でのプログラムが始まる数日前には来日するのですが、今回は都合により、前日に来日した学生もいました。不慣れな土地に着いて、翌日からプログラムが始まるというのは、大変なストレスだと思います。

オリエンテーションとレセプションの翌日からは、知識創造の授業です。2日間の集中講義で、EWKLPと同様、野中所長と遠山先生が担当します。フィールドワークで店舗の視察へ行くこともあれば、全て講義の時もありますが、どちらの時でも、学生たちは真剣な眼差しで授業を受けています。というのも、日本MBAプログラムのインターンシップは、日本企業で実践的な業務経験を得るのに加え、このインターンシップの経験を、卒業論文として書かなければならないからです。そしてこの卒論を書く際、自分のインターンシップ先企業について、この知識創造のフレームワークを当てはめて議論する必要があるのです。

授業が終わると、インターンシップ先企業への挨拶回りです。学生たちは自分がインターンシップを行う会社だけに行くのでそれほど大変ではありませんが、彼らを連れて行く担当スタッフは大変です。次から次へと様々な企業を訪問するので頭の切り替えが大変ですが、何よりも、2日間に10社を訪問できるように、各社のメンターとスケジュールを調整するのは大変な作業です。しかしなぜか毎年これができてしまうのが不思議です。我々スタッフは、10社を訪問しますが、学生は自分の会社1社のみ訪問します。それでは空いた時間に何をするのかといえば、外国人登録証の申請だったり、携帯電話の購入だったり、ワイシャツの調達だったり、人それぞれです。

こうして忙しい1週間が終わり、翌週月曜日から、いよいよインターンシップが始まるという流れです。現在、インターンシップの3週目ですが、皆さん、インターンシップは順調に進んでいるようです。

日本MBAプログラムの学生たち

日本MBAプログラムの学生たち

投稿者: D.S. | カテゴリー: 未分類 | No Comments » | Tags:, ,

1月中旬に、インターンシップを行うために、日本MBAプログラムの学生11名が来日しました。彼らとは、2008年秋にハワイで会って以来なので、久しぶりの再会でした。

今回来日したのは、2008年夏に入学した学生たちで、1月下旬から4月中旬までインターンシップを行い、4月下旬に卒業します。学生たちのインターンシップ先で多いのは、ファイナンス関係とマーケティング関係で、年度によっては、大半の学生のインターンシップ先がこれら2分野ということもあります。しかし今年は医療関係、人事・人材関係、NPOなど、インターンシップ先のバリエーションが豊富です。これも昨今の経済状況のためかもしれません。

来日した直後は、非常に忙しい日々が続きます。日本で最初に実施するのはオリエンテーションです。日本に長期間滞在した経験を持つ学生もいますが、中には日本に初めて来る学生もいます。そのような学生たちに、日本での生活のイロハを教えます。意外ですが、通勤定期券について、皆さん興味深く聞いています。アメリカでは自動車通勤なので、通勤定期というのがどのようなものなのか、イメージしにくいようです。週末など、通勤以外の目的で電車に乗るときは、別途切符を買った方が良いのかといった質問が出たこともありました。

オリエンテーションに続いて、レセプションが開かれます。これがインターンシップ先のメンターと初めて対面する時です。インターンシップ先は電話インタビューやビデオ会議などで行われますが、面と向かって会うのは初めてです。また、企業によっては、インターンシップの面接実施者と学生のメンターが別の場合もあります。ですから、学生たちは自分のメンターがどのような人なのか、期待半分、不安半分で来日するのです。そしてこのレセプションでご対面となる訳ですが、リラックスして話しができるよう、立食パーティーの形式でレセプションを開催しています。最初は緊張気味の学生たちも、次第に表情から緊張感がなくなって行き、パーティーが終わる頃には、かなりうち解けた感じになります。

このようにして、日本MBAプログラムの学生たちの、長い1日目が終わるのです。翌日以降については、次回のブログでお伝えします。

レセプション開始前の一コマ

レセプション開始前の一コマ