1985年夏。フィージー共和国/トンガ王国。
当時経団連には、南太平洋経済協議会という委員会組織があり、一年に一度南太平洋の国々に調査団を派遣していた。その年は、フィージーとトンガに行くことになった。参加者は、某自動車メーカーの副会長夫妻と営業部長、コンピュータメーカ会長、それから真珠輸入販売会社社長など私を入れて6-7人。フィージーでは、経済関連大臣や財務大臣との面談、トンガでは、国王ツボウ四世との面談を初めとして経済大臣、漁業大臣、防衛長官との面談が予定されていた。
まずはフィージーに行き大臣との面談のあと、現地で黒真珠の養殖をしている日本人の会社を訪問する。その後トンガに移り、国王・大臣との面談のあと日本の青年海外協力隊の人たちと意見交換をする予定になっていた。
南太平洋は、一説では日本人のルーツの一端があることになっており、いくつかの遺跡や遺物が、日本とのつながりを暗示している。とはいえ、フィージーもトンガも南太平洋の島国なのだから、それほど変わりはあるまい、というのが行く前の正直な気持ちだった。 フィージーもトンガも英国に支配されていた過去を持ち、どちらも当時は、英連邦(Commonwealth of Nations)に属した。しかし、実際に行ってみると、フィージーとトンガは、かなり異なる様相を呈していた。
フィージーは、もともとその地を支配していたいくつかの豪族が、土地のほとんどを所有し、そこに18世紀に植民地化したイギリスによってインドからサトウキビ栽培のために連れてこられた農業従事者が、住み着いた。当時は、数で勝るインド系フィージー人が政治も経済も取り仕切っていた。しかし、インド系の人達は、ごく一部の自由地を除き、土地の所有はできない。
フィージーは、当時から既に中進国であり、ナンディやスバという大都市は、都会の面持ちを持っていた。都市で見かけるのはインド系の人たちがほとんどで、大臣もだいたいインド系だった。インフラ系も当時の中進国としては、整っている方だっただろう。交通事情も決して悪くはなく、秩序が感じられた。各大臣との面談時の印象も、先進各国の大臣との違いはあまり感じられなかった。
それに比べトンガは、その名の通り王国であり、国王ツボウ四世が元首として君臨していた。住民は、有史以来そこに住み着いている、いわゆるPacific Islanderである。空港から首都の中心までの道路では、車は、わずかしか走っておらず、その代わりに豚の親子が、列を作って走り回っていた。信号は、都心に1-2か所しかなかった。 トンガのツボウ四世は、巨人だった。握手した私の右手指の爪が、国王の手の指の付け根にまでしか届かなかったのは、驚きを通り越して信じられなかった。そのときに会った大臣は、みな大きく素朴だったが、国王がとにかく巨大だったのは、忘れられない。なんでもトンガの木にぶら下がっているオオコウモリは、栄養豊富だが、それを食べるのは国王だけに許されているとか。それだけでは、巨体の説明にはならないが、いかにも南太平洋らしい逸話ではある。
そんなトンガにも軍隊があり、当時空軍のパイロットは日本人から見ても小柄だったのは、別の意味で驚きだった。同じ国でもいろいろな人がいる。トンガは、島国なので島から島に、国王が移動するには、空軍のヘリコプターは欠くべからざるものだという。
そういえばトンガには、Captain Cookが、トンガを「発見」した時にトンガ国王に贈呈したという海亀の剥製があった。驚いたのはその亀が死んだのは、そのほんの15年ほど前だということだった。Captain Cookが急に身近になるのを感じたものだ。
そんなトンガで、私は、失敗をした。
トンガの空港は、日本の地方空港を更に簡素にしたような造りだった。既に四半世紀も前のことではあるので、現在は、整備されているのではないかと思うが、滑走路と管制塔、それから日本だと大きめのバス停にあるような待合室。もちろんPassport Controlや税関もあることはあったが、規模は小さい。
空軍の飛行機を見学するために空港に来ていた私は、見学後、帰りのバスを待ちながら、ひとりの日本人の参加者と1日に数回しかない飛行機のランディングを見ながらおしゃべりをしていた。
「人口15万人くらいの国だとこの程度の空港で十分なんでしょうね。日本だと地方のちょっと大きめの町くらいの感じですもんね。」
「15万人っていうと静岡県の三島市くらいですね。三島には軍隊ないけど。」 南太平洋の真っ青な空と群青の海を背景に気楽な日本語での会話。どうせ現地の人にわかるはずがない。と、思って気を抜いていた。
我々の前で誰かと話していた女性が振り返った。
トンガ外務省の日本担当Director、Nancyだ!
「日本は、大きな国です。しかもお金持ち。トンガは小さい。そして貧しい。でも私たちは、この空港にも、軍隊にも誇りを持っています。」というとクルっと前を向き直し、すたすたと駐車場の方向に歩いていった。
相撲の力士にまでトンガ出身者がいたくらいの親日国だ。当然何人も学生として優秀な人材が、日本に留学している。Nancyは、早稲田大学に数年間留学していた。日本語は、もちろん流暢。日本人の会話は、問題なく分る。
数日後、帰りの便に乗る前、見送りに来ていたNancyと握手した。トンガの人らしく、大きい手だったが、心なしか、力の入っていない握手だった。
- by 神能 粋人 -
(I.Kanno)