前回のブログの続きです。

デュビュークを出発して間もなく、緊張感が解けたのと共に、睡魔が襲ってきました。頑張って目を明けていようとしましたが、次第に私の意識は薄れて行きました。しかし眠りに落ちる直前のあたりで、何となくバスの揺れ方が不自然に感じられました。長時間、同じ人が運転する同じバスに乗っていたので、同じような揺れだったら気付かなかったのだと思いますが、何かが違ったので、体が反応したのだと思います。半分は眠りに陥った私でしたが、スーッと眠りから覚めて行きました。

目を開けて斜め前に座っている運転手を見ると、風で揺れるバスの向きをハンドルで微調整する手が、ちょっとだけ遅れて反応しているようでした。風向きが微妙に変化しているのかとも思いましたが、そうではないようです。しばらく見ていると、運転手が睡魔と戦いながら運転しているのが分かりました。長距離を運転し、真夜中の田舎道を走っているので、相当眠いのだと思います。運転手に声をかけましたが、「大丈夫だ、眠くない」と言い張ります。しかし実際には、時々まぶたが閉じそうになりながら運転していました。現地は動物の飛び出しも多いので、動物に気づいて慌ててハンドルを切ると、大事故になってしまう恐れもあります。だから運転手にはしっかりと目を開けて運転してもらわなければなりません。

運転手に休憩させたりすると、乗客の皆さんが不安になってしまいます。それに長旅を経た日本の皆さんを少しでも早く目的地に送り届けなければなりません。私の席は運転手の斜め後ろで、いざとなったらハンドルに飛びつける場所だったので、運転手の様子を見ながら運転させることにしました。しかし何もしないと運転手が睡魔に襲われるので、仕方なく話しかけることにしました。

運転手と話をしながら気づいたのですが、普通に会話をしただけでは、なかなか眠気がなくならないようです。色々なトピックを試してみましたが、過去の記憶をよみがえらせるような質問は、あまり効果がありませんでした。眠たくて上手く思い出せないので、結局は目覚ましにならないのです。色々とトライするなかで、トピックを変えながら話を発展させていくのが一番効果的みたいだと気づきました。ですので、デュビュークへの往路で話のネタは尽きてしまっていましたが、私自身も睡魔と戦いながら色々な話をしました。途中、私も運転手も両方とも同時に眠くなったり、私が運転手に話しながら寝てしまいそうになったり、ヒヤッとすることが何度かありましたが、どうにか会話を続けながら、無事にロチェスターまでの3時間半の移動を終えました。

一行をホテルに案内し、無事に役目を終えた後、最後に残されたのは1時間強の道のりをミネアポリスに向かって戻ることです。しかしバスに乗っていたのは運転手と私の2人だけだったので、周りを気にすることなく大きな声で話をしながら、無事にミネアポリスまでたどり着くことができました。後で別のところから聞いた話では、この時期は航空会社のストの影響で、バスの運転手さんたちはあまり休むことができないまま、長時間のドライブが続いていたようです。

当時は、少しでも早く一行を目的地に届けることを優先して対応しましたが、今になって考えてみると、ゾッとするような経験でした。

これはイメージ写真です。このブログに書かれているバスとは関係ありません。

これはイメージ写真です。このブログに書かれているバスとは関係ありません。

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先日、米国ユタ州でバスが横転するという事故がありました。警察によると、運転手が居眠り運転をしていた疑いがあるとの事ですが、私も米国でヒャッとする経験をしたことがありました。このニュースを見て、フッと当時を思い出しました。

私が現地で働いていた時、米国の多くの航空会社が集中的にストを行った時期がありました。多くの人が飛行機で移動する国で、ストライキが起こって多くのフライトがキャンセルになってしまったので、大混乱でした。特に私が住んでいたミネアポリスは、ノースウエスト航空の本拠地であったため、発着するフライトの大半がノースウエストでした。そしてこのノースウエストがストに入ったので、現地は陸の孤島のような感じでした。

こんな時期に、突然、社長から電話がかかってきました。「(ミネソタ州南部の)ロチェスターで大きなイベントがあって、各国から人が来るんだけど、例のストの影響で、日本からの参加者が飛行機で現地入りできないらしいんだ。旅行会社がアイオワ州とイリノイ州の州境にあるデュビュークという街までのフライトを手配したから、キミ、現地へ迎えに行って、ロチェスターまで連れて行ってくれないかな?強行軍になるから、若くて体力のあるキミにお願いしたいんだよ。」確かにスケジュールは大変そうですが、バスに乗って遠地まで出迎えに行き、またバスでロチェスターまで連れて行くのなら、それほど難しい仕事ではありません。そこで依頼を引き受ける事にしました。

ミネアポリスを午後に出発し、5時間ほどかけてデュビュークまで行きました。50人乗りの大型観光バスには、アメリカ人の運転手と私の二人だけしか乗っていませんでした。最初は見慣れない郊外の景色を楽しみ、中西部の平原地帯の夕暮れ時の光景を堪能していましたが、日が暮れて単調な夜道の運転が続くにつれて、次第にお互いに口数が少なくなって行きました。途中の道路事情が分からなかったため、十分に余裕を持ってミネアポリスを出発したので、デュビューク空港には早めに到着しました。少し休んだ後、私は日本からの団体を出迎え、皆さんをバスに案内しました。一行は、ロチェスターに少しでも近い空港にたどり着くため、飛行機を何便も乗り継いでここまで来たそうで、大変疲れている様子でした。

程なくしてデュビュークを出発しましたが、平坦で単調な田舎道なので、乗客の皆さんも景色にはすぐに飽きてしまったようで、多くの方は眠りについてしまいました。私自身も長距離の移動を敢行し、無事に目的地にたどり着き、日本からの皆様を出迎えたので、ホッと一息ついたところです。後はロチェスターへ移動するだけと思うと、急に睡魔が襲ってきました。

今回のブログは少し長くなりそうなので、続きは次回のブログに書かせていただきます。

投稿者: D.S. | カテゴリー: 未分類 | No Comments »

1ヶ月前の話ですが、EWKLP2010年春期に参加した富士通奨学生が来日し、4日間の研修を行いました。

ついこの間2009年秋期の奨学生向けに研修を行った気がするのに、月日が経つのは本当に早いですね。
・・・と、2009年秋期の時のブログを読み返したら、まったく同じ事を書いていました(笑)

※前回のブログはこちらから↓
http://www.jaims.jp/blog/?p=346

私にとって3回目の引率となりますが、これだけやれば日本研修なんてもうお手のもの!とはいかないですね。特に今回、内容の向上を図って新しい試みをいくつか加えた為にかなり忙しい研修になってしまい、ゆったりした「ハワイ時間」での生活に慣れてしまった奨学生を分刻みのスケジュールで引率するのはなかなか大変でした。

しかしながら、さすがは3ヶ月間JAIMSで山のような課題をこなしてきた皆さん。ここぞという時の集中力、気迫はすごいです。富士通のマネジメントに富士通のビジネスについて講演してもらったのですが、それまでの疲れきった雰囲気から一転、質問の嵐でした。しかもJAIMSでマネジメントを学んできたばかりですからポイントをついた質問が多く、回答する側も気が抜けないという、かなり白熱したものになりました。

私はまだJAIMSに行ったことがないのですが、きっとEWKLPの授業でもこのように質問や意見がたくさん飛び交っているんだろうなと、その様子が目に浮かびました。

日本からJAIMSに参加する皆さん。この中で自分も負けずに発言するには、かなりの度胸とコミュニケーション力が必要ですよ!

研修最終日。 鎌倉で流しそうめんを楽しみました☆

アフリカの風(1)

7月 27th, 2010

2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会が、スペインの優勝で幕を閉じた。
準備期間から閉幕まで、良くも悪くも全世界から注目を浴びた南アフリカ。そして、アフリカ大陸。
ワールドカップが後押ししてか、今年、ちまたではアフリカンファッションが流行しているようである。おそらく、原色が多用された斬新なデザインに惹かれているのだろう。6月12日(土),13日(日)に開催された「AFRICAN FESTA 2010 in YOKOHAMA」でも在日カメルーン共和国大使館のブースをはじめ、多くの人々がアフリカの風を求めて集まっていた。

そんなアフリカ。

“アフリカ”について、一般にどのようなイメージをもっているのだろうか。

私が”アフリカ”から帰国して一年半。多くの人から聞かれたこと。

・アフリカの人は服を着ているの?
・槍をもっている人が歩いているの?
・主食は何?
・どんな家に住んでいたの?屋根はあったの…!?
・電気はあるの?水はあるの?ガスはあるの?
・電話は使えるの?通信手段は?交通手段は?
・暑いの?
・ライオンやキリンなどの野生動物はどこでも見られるの?
・貧しいの?
・現地の人の娯楽は?
・何となく暗い印象だけど、どうだった?

その他にも、一般に抱くイメージとして、
アフリカといえば暑い、治安が悪い、貧困、内戦、よくわからないけど何となく危ない…。

かく言う、私も赴任する前までは、一般の日本人がもつ”ザ・アフリカ”というイメージしかもっていなかった…。

まー、無理もない。日本から10,000km以上離れた大陸で、海外旅行が一般的になった日本人ですら、予防注射を何本もうち、気合いを入れなければ行けないようなところだから…。
“アフリカ”とひとことで言っても、東西に7,400km、南北に8,000kmと、とにかくでかい大陸なので、そもそもひとことで表現しろという方が無理なのかもしれない。
小さな島国の日本でさえ、ひとことで表現するのは難しいかもしれないし…。例えば、”日本”を知らない人から、「”日本”では雪が降りますか?」とか、「”日本人”はみな金持ちですか?」と聞かれて、ひとことでは答えられないと思う…。

 Africa_大地001

少しだけ、アフリカの概要をご紹介。
・面積:3026万平方キロメートル(世界の22.2%)
・国数:53カ国(国連加盟国の27.6%)
・人口:9億2,500万人(世界の14.2%)[2006年]
・アフリカ全域
 最北端 – 北緯37度21分
 最南端 – 南緯34度51分
 最西端 – 西経25度25分
 最東端 – 東経63度30分

 

私は、2007年1月から2009年1月までの2年間、アフリカ南東部に位置するマラウイ共和国で暮らした。同じ異国の地でも、”旅行で訪問する(旅人)”と”その国に暮らす(住人)”では、見えること、得られること、感じられること、、、印象が大きく異なる。2年間、マラウイ共和国の住人となり、旅人として近隣国(ザンビア共和国,エチオピア連邦民主共和国,タンザニア連合共和国,モザンビーク共和国)を訪問した。

住人となって2年目。日本の地方紙の記者から取材を受けたことがある。

~質問~
『「日本は物質的には豊かだが、アフリカは精神面の豊さがある」というような比較を聞くことがあります。日本とマラウイと、どちらの国が「豊か」とお感じになりますか?』

正直、困惑した。「豊かさ」≒「幸せの尺度」、この価値観には明確な尺度が無いと思う。ひとことで「日本は物質的には豊かだが、アフリカは精神面の豊さがある」とは言えないと感じた。

■日本は物質的に豊か?マラウイは物質的に豊かではない??
Africa_子ども001
例えば、マラウイの現地の人の日々の暮らしを見た場合、”生活するのに必要なモノ”は一通り揃っているわけで、彼ら/彼女らの生活レベルは満たされていると思う。対して、日本人は新しいモノ、例え不必要でも興味のあるモノに飛びつき、壊れたら次を買う。(携帯電話なんか良い例かと…)
マラウイで暮らしていると「”物質的に豊か”とは何だろう?」と感じる。
他の例で、例えば”水”。勿論、日本は社会インフラが整っていて、蛇口をひねれば比較的安全な水が確保できる。マラウイは一般家庭への水道普及率はとても低く、マラウイ人は井戸の水を利用し、何度も何度も井戸まで足を運んで水を確保する。一見、日本は便利だー(物質的に豊か!?) と感じてしまう。確かにマラウイは不便(物質的に豊かではない!?) な側面もあるとは思う。しかし、その分、マラウイ人は水の大切さを日本人以上に理解している。また最小限の水でどのように暮らすかというような生活の知恵をもっている。それだけでなく、井戸に行き、近所の人々と情報交換/交流することで地域社会の絆が生まれる。日本人では薄れかけている絆…。
このように、「物質的に豊か」かどうか、またその良し悪しを図るのは難しいこと。

 

■精神面の豊かさAfrica_子ども002

これは個人差もあるとか思うが…。
精神面の豊かさを”大らかさ(精神的なゆとり)”で捉えるならば、圧倒的にマラウイが豊か。
日本から12,000km離れてアフリカの大地に住んでいると、日本という国を客観的にみるようになる。また、自分が日本人であることを強く感じることがある。そりゃそうだ、日本で生まれ、約30年間を日本で生きてきたわけだし…。
日本人としての一般的な価値観に戻ると、日本はやはり生活しやすいし、良くも悪くも”お金さえあれば何でも購入できる/楽しめる”豊かな国だと思う。マラウイではお金があっても購入できないモノがあるし…。話は飛んでしまうが、当時、マラウイに唯一あるコカコーラの工場の機械が壊れ、全国的にコカコーラ、ファンタ、スプライトが買いづらい、もしくは買えない状況があった。地方の村々で唯一買える高級ソフトドリンクがコカコーラシリーズ!?で、マラウイ人は大好きだが、当時は手に入らない状況だった…。そういう事態になると物質的に問題のない日本がいいのかなーと思ったりする。でも、そんな状況に至っても文句一つ言わず工場の機械が直り、流通の復活を穏やかに待つマラウイ人、その心のゆとりはそれはそれで素敵だなーと思ったり…。
日本で近年話題になっているスローライフ。これは、精神面の豊かさを求めての行動?かもしれないが、マラウイではそれが当たり前。このスローライフの視点で考えるならば、マラウイは”お金では買えない豊かさを持っている国”かもしれない。

“先進国”とか”途上国”とかいう分類や表現は好きではない。

便宜上、”途上国”という言葉を使うが、”途上国”に生まれ育った人たちは、それが当たり前の世界。不思議と必死に生きているという印象ではなく、生命を受け、人間らしく生きているという印象が強く残った。

2年間、住人として感じたこと、思ったことなど、徒然なるままにアフリカの風を届けていきたい。

Africa_大地002

■外務省:マラウイ共和国
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/malawi/

■駐日マラウイ共和国大使館 公式ホームページ
 (The Official Website of the Embassy of the Republic of Malawi to Japan)
 http://www.malawiembassy.org/jp/

■日本マラウイ協会(Malawi Society of Japan)
 http://www.joca.or.jp/malaw/malawi-j.htm

投稿者: K.A. | カテゴリー: 異文化体験 | No Comments » | Tags:,

異文化体験(6)

6月 30th, 2010

1988年秋。米国カリフォルニア州サンノゼ

 駐在のためシリコンバレーに行ったのは1988年4月。それから約4年間シリコンバレーの中心サンノゼ近郊に住んだ。

 アメリカと日本。言葉は、英語と日本語。自動車の通るのは、右と左。戦勝国と敗戦国。違いをあげたら、それこそ枚挙に暇がない。では、人々の暮らし方は、それほど日本と違うのか?暮らし始めた頃は、違いにばかり目が行くが、しばらくすると違いよりも同じ点に気がつくようになる。

 

 妻から子供の学校のPTAに出ろと命じられたのは、駐在を始めた年の秋だった。妻はこう言った。

 「アメリカ人は、PTAにダンナさんが出るのが当たり前なんだよ。PTAに出てくる奥さんは半分以下なんだってさ。だから来週のPTA出てよ。」

 妻の指示は、特に子供に関するものは、絶対だ。妻と言う人種の細かいことに関する記憶力の凄さは、ほとんど神業である。「たいしたことはない。」と高をくくって、指示に従わなければ、惨めな老後が待っている。悪い記憶は、じっくりと熟成され、必ず何年か後に思いもよらない形で提示されることになる。私は、素直に指示に従った。

 

 アメリカの小学校のPTAも日本のそれも、大きな違いはない。授業参観こそなかったが、放課後教室に父母が集まり教師と話をする。そのときは、学校の教育方針とか、それぞれの子育ての課題などであった。驚いたのは、参加者の構成だった。妻の話によれば母親は、半数以下のはずであったが、17-8人集まった父母のうち、父親は、私ともう一人。彼も日本人だった。後は、全員母親で、たった二人の父親は、いかにも居心地が悪かった。

 学校の教育方針のあと、話が子育ての課題になると、母親達は、口をそろえて夫の子育てへの非協力を言い募る。言葉が、英語でなければ日本と同じだろう。父親二人は、身を縮めながら、場違いな雰囲気に飲み込まれていった。ずいぶん長い話し合いだと思っていたが、PTAが終わって時計を見たら、1時間ほどしか経っていなかった。

 「お母さんばっかりですね。女房には、父親が来るのが普通だから行け、と言われたんですけど。」と私は、もう一人の父親参加者に言った。彼は、「私もそういわれて来たんですけど、結局アメリカ人のだんなさんも日本人と同じなんですね。今日の奥さんたちの話を聞いてて、そう思いました。」と言うと、少しほっとした表情をした。

 

 どこの国であれ、父親が、子育てに協力しなくて良いなどと言うつもりは、毛頭ない。ここで注目したいのは、日米の文化の同質性である。

 「異文化体験」と言うと異質性にばかり目が行くが、実はかなりの同質性が、その根底にあることに気づく。同じものがあるから、違うものがわかる。一から十まで徹底的に異なれば、比較のしようもない。レモンとリンゴを比べて、どちらが「良いか」というのと同じで、虚しい。

 仏教に不二(ふに)の思想というのがある。例えば男女不二(なんにょふに)などという言い方をする。男と女は、違うものであるが、同じものである、という二律背反的な考え方である。歎異抄の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」もその根底には、この思想が、感じられる。人間の本質における同質性とでも言えるかもしれない。

 

 世界には200近くの国があり、しかもそれぞれの国の中でも地域や階層で異なった文化が存在する。我々がそういう社会と接点を持つとき、我々と異なった部分に注目するのは当然である。しかし、同時に我々と同じ部分が、たくさんあることを忘れてはなるまい。むしろその同質な部分で、彼らと我々が、理解し合えるのであって、異なった部分を理解することは、その同質的な部分を深く捉えるための手段なのかもしれない。

 一人ひとりの人間は、複雑である。そしてその人間が構成員である社会は、もっと複雑である。

しかし、その複雑な様相の根底には、広大な同質性が横たわることを常に意識していたい。

 

                                                     -by 神能 粋人-

投稿者: S.N. | カテゴリー: 異文化体験 | No Comments » | Tags:,